男声合唱プロジェクトYARO会

第2回ジョイントコンサート


2005.12.11





加藤良一

(男声合唱団コール・グランツ)

 

   


 開演5分前の予ベルが鳴り、袖に待機していたメンバーが各団ごとにステージの山台に整列した。下ろされた緞帳(どんちょう)の裏に大きく書かれた「火の用心」の文字を見ながら、2年前にもここで歌ったのだと感慨に耽る間もなく、開幕を告げる本ベルが鳴り、いよいよYARO会本番のスタートとなった。居ずまいを正し呼吸を整えるうちに静かに緞帳が上がった。ここまで来たら、あとは仲間と共にやってきた練習の成果を思いきりぶつけるだけである。

 今回のコンサートは、1回目の2年前にくらべてオンステメンバーがわずかに減っている。団によっては2年間のあいだにメンバーや指揮者の入れ替わりもあった。さらに重要なメンバーが仕事や病気で出られないなど、さまざまな事情を抱えながら活動してきた。しかし、厳しい台所事情を抱えた団があるときこそ、YARO会の長所が活かされるときでもある。どうしてもメンバーが足りないときは、SOS発信、ほかの団に助っ人を頼んで乗り切ったこともあった。そうすることで相互の交流がどんどん深まり、ほかの団に加わってコンクールに出たり、YARO会の枠をも飛び越してさらにその先の合唱団へ参加する人など、男たちの合唱に対する熱い思いは止まるところを知らない。
 このような活動を展開してきたYARO会の集大成が、今回の第2回ジョイントコンサートである。合同練習も5回に及び、それこそ満を持しての演奏である。各団の演奏曲目はとくに調整したわけではないにもかかわらず、ミュージカル、タダタケ男声合唱曲、日本抒情歌曲集、宗教曲、チャイコフスキー歌曲集と古今東西にわたるバラエティに富んだものとなった。
 さて、本番の模様はどうであったろうか。われわれ出演者は自分の出番のときこそステージの上にいるが、あとは楽屋のモニターを覗くことしかできず、実際に会場で聴くことはできない。それに私は受付の状況などのチェックで楽屋と受付とを行ったり来たりしていたから、なおさら演奏の一つひとつを聴いている暇などなかった。いずれ出来上がる予定のCDやDVDで確認するしかない。そこで演奏の様子については、お客様に書いていただいたアンケートを引用しながらお伝えするとしよう。もちろんアンケートをお書きいただいたお客様はさまざまである。合唱に詳しい方ばかりではない。加えて遅れて来られた方もいるので、初めのほうの団に対する感想は少ないようであった。そのような諸々の背景や事情を勘案してお読みいただきたい。(緑色のゴシック体の箇所がアンケートからの引用である)




 コンサートの開幕は、YARO会恒例のエール交換から始まった。



 エール交換とは、大学グリーの合同演奏会などでよくやるもので、出演団体がお互いの健闘をたたえあい順に団歌を歌ってゆくオープニング・セレモニーである。自分の団の演奏が終わると、指揮者は次に演奏する指揮者と握手を交わしてバトンタッチする。エール交換をはじめてご覧になる方には、とても新鮮で楽しい企画に写るようだ。お互いの健闘をたたえてエールを送る、歌うほうもとてもワクワクするものである。いってみれば顔見世のようなものだろうが、各団の特徴が見られるし、いよいよこれからコンサートが始まるのだという高揚感や期待を持ってもらえるのがいい。ただし、最初の歌ということであり緊張して硬くなっていたのでは、と仰る方もあった。


 


 5団体のトップを切って登場したのは、男声あんさんぶる「ポパイ」
 指揮者は、YARO会合同演奏の指揮者でもある大岩篤郎(埼玉県合唱連盟副理事長)。

(以下、グリーンの文字はお客さんのアンケートから引用)

ポパイは、『ミュージカル ラ・マンチャの男』をピアノ伴奏付きで演奏した。英語たいへんだったでしょう、言葉がわからないけれどハーモニーがとてもきれい年々ハーモニーがきれいに響き渡ってきて羨ましい前回にくらべるとメンバーが2/3にもかかわらずアンサンブルがずっとよくなり、指揮者の意図がよく伝わってきた少人数ながらよくまとまった演奏だったとくに内声が安定しているように思うまた、ベース・ソロが声もよく素晴らしかった皆自信満々でよく声が出ていたテノールのファルセットがきれい明るい輝かしい声に敬服ピアノが合唱を引き立てていてとても心地よく感じたドン・キホーテの勇ましさと愉快さが伝わってくる演奏だった高い技量と繊細な表現でありながら力強くポパイらしいまた柔らかい声だったと好意的な評価が多かった。

ところがいっぽうで、口の開き方が甘いせいか聴き取りにくい部分があったもっと力強く1曲ぐらい日本語で歌ってくれたらいいのにのご意見もあった。ピアノが強すぎた歌とピアノのマッチングがいまいち指揮者一人力が入っていて人数に見合う声が出ていなかったいつもより歯切れが悪かった歌詞がはっきり聴き取れず全員の声が揃っていなかった一人ひとりは美しい声が出ていたが、それが美しいハーモニーにつながらなくて残念一人ひとりの個性よりも他の人の声に合わせた調和を大切に…と感じた全般的に響きはよかったがもう少し押し出しも欲しい楽譜の持ち方、ページのめくり方に統一性が欲しい邦人作品のほうがよかったのではないかとさまざまである。
 「Dulcinea(ダルシネア)」では、ご自分の幸せだった若い頃の思い出がよみがえり聴き入ってしまったという方もおられた。また、大岩先生の指揮振りを評して歌い手200人に対しても通用する指揮という評価は、YARO会にとっても嬉しいことである。
 



 第2ステージは、筆者の所属する男声合唱団コール・グランツによる多田武彦作曲・男声合唱組曲『吹雪の街を』の演奏であった。指揮者は、笠井利昭(埼玉県合唱連盟事務局長)。

 全曲暗譜で演奏したことを評価するご意見がいくつかあり、やはり演奏上からも視覚的にも暗譜は重要であると再認識した。ア・カペラの味が出ている、難曲を見事に歌っていた調和が大人の渋みを出していたトーンの揃った安定した演奏テンポの遅い曲はむずかしいのに声が揃っているピアノ伴奏なしにもかかわらず音程が狂わず素晴らしいハーモニーが良い響きが良いなどの評価もあり、倍音が鳴っていたとまでいわれると木に登りかねない気持ちである。
 事前の練習ではベースの仕上がりに不安があったため、直前までパートリーダーを中心にチェックした甲斐があったのであろうか、ベースがよく響いていたという声には素直によろこばせていただきたい。各パートのソロ部分が光っていた、とくにバリトンがという感想は、内声の充実を示すものだけにうれしいことである。逆に、ベースの心配をしているうちに、トップテナーとセカンドテナーが少し弱いのではないかと指摘される始末であった。また、グランツの秘密兵器──いや秘密どころか、埼玉きっての名テナーの一人である野口享治(のぐちたかはる)さんのロを高く評価する声は相当数にのぼった。さらに指揮者とメンバーの絡みが抜群だという評価もうれしい。当然のこととしてトップテナーはいい声だが目立っていたのもまちがいない。
 全体によく声が出ていたが、もう少しデュナーミクが欲しい3曲目の「夜の霰(あられ)」が一番ハーモニーもよく、力強さが感じられた。しかし4曲目の「吹雪の街を」の“歩いて来たよ”の「き」がバラバラに感じられまとまりに欠けたように思う、オシイ!という意見があるいっぽうで、“歩いて来たよ”をもっと強くして、かつ揃えると導入として判りやすかったといわれることについて、揃える必要はもちろんあるが、強くするかどうかこの辺りは解釈や曲の作り方の問題にもなるので、ご意見として受けたまわっておくことにしよう。低音部が安定するとさらによくなるのはまったくそのとおりであり、さらに精進してゆきたい。ちなみにデュナーミクとは、強弱法のことで、音を強くしたり弱くしたりする演奏法を指し、音楽に表情を与える重要な技術のことである。
 「吹雪の街を」は、ストーリー性のある組曲だったので、この曲はドラマチックでよかったと楽しんでいただけたようだ。
 



 第3ステージは、男声合唱団イル・カンパニーレ。指揮者は、第1回YARO会コンサートで合同演奏の指揮をした小秀一(前埼玉県合唱連盟理事長)。

 曲目は『男声合唱による日本抒情歌曲集』で、ピアノ伴奏付き、おまけに若いソプラノ・ソリスト付き。おいおいYARO会でそりゃ反則じゃないのとのやっかみを他所(よそ)に、5曲のうち後半の「からたちの花」「待ちぼうけ」「椰子の実」の3曲にソプラノソロが入った。ソプラノソロが入ってまた趣きが変わり、一段とよかったと思いますキレと滑らかさがあり、まとまっていたと思います。川越ますみさんの明るい声と男声の温かな声がとってもピッタリとよかったですソプラノソロのバックで楽しかったでしょう、楽しさが伝わってきましたテナーソロをソプラノソロにしたのはご愛嬌、ざわついた会場を静まり返らせる演奏、理想ですね素晴らしいの一言、とくにバックコーラスが…
 
さすがに、小先生が見込んだだけあって、ソプラノの澄んだ歌声はたしかにみごとなもので、たくさんの称賛の声が寄せられた。そのいっぽうで、5曲中3曲に女声がメインは多く感じたぜひ男声ソロで「木の根っこ」を聴いてみたかった男声の美しい声にうっとりと聴き惚れ、こんな合唱団に入りたいと思ったのに、女性シンガーが出てきてもうがっかりソプラノソロは上手でしたが、団員の表情が暗くなってしまったのが残念でした、男声だけで聴きたかったなどの辛口評価もいっぽうでみられた。
 お馴染みの日本歌曲をイルカンらしく叙情的に歌い上げ、音楽に対する愛情が感じられた馴染み深い曲を聴きホッとしました指揮者の素直な指揮がメンバーの魅力を引き出していた小先生の人柄が表れていたように思いますやはり叙情歌は日本人の心にしっくり来ます、心地よいコーラスでした定番曲で安心して聴けましたバランスがいいなと思いました歌っている団員の表情が豊かで歌う楽しみが伝わってきました元気はつらつといった感じにもかかわらず声を張り上げず歌ったのがよかった、とくに低い声の方がよいですハーモニーが素晴らしい最後までしびれっぱなしこれを聴いただけで来た甲斐があった
 はじめの“あした浜辺”の口の形を研究されたらもっとよかった。「からたちの花」の最後、高い音、大変よかった「箱根八里」が一番よかった、体が何度も震えたそつなく歌っていてよかったのですが、ところどころ頭が合わないのが気になりました、表情をもう少し研究されたらと感じました
そして宿題として簡単な歌詞ばかりですからぜひ暗譜をと注文がついた。
 



 第4ステージは、ドン・キホーテ男声合唱団による『聖母マリアを讃える作品集』の演奏。指揮者は、YARO会の団内指揮者であり、ベースのパートリーダーでもある村上 弘

今回ドンキは宗教曲一本に絞ったプログラムで臨んだ。アベ・マリアばかり集めた選曲は面白いやはり男声合唱はア・カペラがいい難曲によく挑戦しよくまとめていたとお褒めの言葉をいただいた。とても柔らかく、包み込まれるような声で素敵だった顔の表情が豊かで男声合唱らしさがあったし、テノールソロもよかった12月にふさわしくとても素敵です声が揃っている響きがよかったです元気をもらいました

その反面、楽譜から離れきれない人がいて、ハーモニーがいまひとつの部分もみられパートのバラツキもあった。シンプルな曲のように思うので、追いかける部分など合わせるのが難しそうでしたサウンドがもう少しクリアになればと思いました歌い込めばもっとよくなるはずテノールが揃っていない、なおかつ力みすぎ難曲に挑む意気込みは買うが、曲が合っていなかったのではないかとのご指摘もあった。

話は変わるが、今回のイベントでは、ドンキのベース渋谷 弘さんが中年を代表するアイドルとなった。フジテレビの『とくダネ!』という番組に紹介されたのである。「今、合唱が熱い!」という切り口で合唱にハマっている人や合唱団を紹介したいという主旨で番組が作られた。どのような形であれYARO会や合唱の話が全国に紹介されるのはよいことである。渋谷 弘さんとそのご家族には、練習、本番からご自宅の取材まで全面的にご協力いただいた。心よりお礼を申し上げたい。放送予定は二転三転したが、けっきょく12月21日の朝に放映された。よくまとまった特集となっていた。
 ←写真は打上げパーティでアイドルとして挨拶する渋谷 弘さん(右端)とフジテレビのリポーター熊谷麻衣子さん(左端)、ディレクターの荒木千尋さん(左から2番目)。皆さん、ご苦労様でした。


 



 第5ステージは、男声合唱団メンネルA...による『チャイコフスキー歌曲集』。指揮者は、YARO会の団内指揮者も務める須田信男

 前回の楽しいステージが印象的(とくに「コンサート」の曲には涙しました)でしたが、今回はまたちがったイメージで良かったといわれるように、前回のコンサートでは、ピアノにドラム、ベースも付けて賑やかにポップスをやったが、今回は一転してチャイコフスキーとドヴォルザークを採りあげた。レパートリーの広さを感じさせる意欲的なプログラムである。
 脱力とマッピングができていて情感が伝わり心を打たれたという、かなり専門的な評価があったがこれはどのように理解したらよいだろうか。マッピングとは、アレクサンダー・テクニークとの関連で出てくるボディ・マッピングだとするなら、メンネルのメンバーはかなり己の肉体をコントロールする技術に長(た)けているにちがいない。

ボディ・マッピングとは、自分の頭に描かれている自分の肉体構造と現実の肉体構造のズレを解消し、効率的で自然な動きを獲得することで、その際に必要な自己観察や自己分析と肉体動作の調整を実践する方法論がアレクサンダー・テクニークである。頭、脊椎、腕、脚などの基本的構造や自然な状態を知り、自分の肉体の負荷を取り去る。そして、演奏に適した姿勢、四肢の状態、筋肉の使い方、骨格のあり方、呼吸法などを習得する。肉体の各部同士のバランスを保つように、脳と肉体の間で情報をフィードバックさせることが重要である。(「音楽家ならだれでも知っておきたい「からだ」のこと─アレクサンダー・テクニークとボディ・マッピング」バーバラ・コナブル著より)


 とてもていねいに歌っていてまとまりを感じました
むずかしい曲をうまくまとめ上げた素敵な演奏で、素晴らしかったチャイコフスキーは初めて聴くが、4声のバランスもよく、5団体のうちで総合的にみて一番と思いました如何にも歌い込まれている感じ、定演の練習を通じて洗練された表情が明るくて良かった
 北欧や中欧音楽の雰囲気が完全に表現されている芸術性の高いメリハリの利いた演奏、楽しませてもらいました
北欧ものは指揮者須田さんが得意とする分野でもある。テナーは充実した気合い、ベースは年輪を重ねた重厚さ、内声はアンサンブルを作っていたセカンドテナー、バリトンの内声がよかった厚みが感じられた声が太く感じられ迫力があったよく声が伸びている人数以上の声を感じさせる好演で、力強さも感じられ男声合唱の王道を感じた
 
片や、声の伸びやかさが足りなかったパート内でまとまっていないため全体に荒削りでもったいない、もっと個々に聴きあうとまとまると思う。トップテナーはもう少しパート内の声が揃うともっとよくなる最後の「鷹は自由に」は迫力のあるコーラスだったが、フレーズによって言葉が揃っていない気がしたまた、団長の森下さんを指しているのではないかと思われるものに、お年にもかかわらずよくお声が出ていらっしゃると感心しましたという賛辞があった。
 

 



 さて、今回の目玉、5団体による合同演奏は、男声合唱組曲『月光とピエロ』の全5曲。堀口大学作詩、清水脩作曲のこの曲は、男声合唱の定番中の定番ともいわれているが、あえて今回のプログラムとして採り上げた。
 これはプログラムの挨拶にも書かれていたように、指揮者大岩篤郎先生のたっての願いでもあり、YARO会としても大いに共感して取り組むこととなったものである。


 今回、清水脩作品の代表作(と言うよりも、日本の男声合唱作品の代表格)を選曲させて頂きました。それと言うのも、これ迄幾度となく接したそれぞれの『月光とピエロ』ですが、ともすると、ついつい型にはまってしまい、結果としていつものピエロを聴かされてしまっている、という印象がありました。

私自身、もっと違った一人一人の内面に持っている裸身のピエロ性を、お客様にお届けしたいと心から取り組むことにしました。つまり、感情と声とがマッチし、そして繊細でダイナミックな中にも、ホール全体が『泣き笑い』に満ちた…。そんな空間を作りたいと、強く願っています。


 また、作曲家の多田武彦先生は、プログラムに次のようなメッセージを寄せてくれた。


 清水脩先生 ⇒ 月光とピエロ ⇒ 私 ⇒ YARO会

作曲家 多田武彦

 

1956年、私が京都大学男声合唱団に在籍していた時、雑誌「音楽の友社」の付録に、男声合唱組曲『月光とピエロ』の楽譜が掲載された。指揮者をしていた私は団員と相談し、練習を始めた。その年の秋、大阪で「清水脩作品発表会」が開催されることを聞き込み、団員の数名が「その前座で、京都大学男声合唱団に『月光とピエロ』を歌わせてほしい」と申し出た処、清水脩先生は快諾され、昼夜二回、プログラムにない京大男声合唱団による『月光とピエロ』が演奏された。これを機に、清水先生との交流が始まり、私もご指導を仰ぐ幸運に恵まれた。

先生は特に、「作曲を勉強する場合も、指揮を勉強する場合も、自分の好きな名曲を、徹底的に分析すること」を指示された。私は交響曲を始め多くの名曲の分析をしたが、組曲『月光とピエロ』も色々の角度から検討した。そして今でも、この組曲が、「詩と音楽との複合芸術」の観点からも、「音楽の三要素と楽式論による西洋音楽の構築性」の観点からも、ア・カペラ合唱曲の名曲中の名曲であると同時に、優れた教則本であると信じている。

清水先生からご教示を受けた機会は多くなかったが、極めて密度の濃い薫陶を受けた。爾後(じご)五十年近く、ご薫陶を遵守してきた結果、私の作品も多くの男声合唱愛好の諸兄によって愛唱される光栄に浴してきた。

2003年、YARO会の諸兄が、組曲「『富士山』を名演奏してくれた。奇を衒(てら)わない、正統的名演であった。その後、合唱講習会を通じて、主要メンバーと交流が深まったが、みんな合唱音楽に造詣が深く、また合唱を通じて親交を深め、知識を付与しあい、それぞれの天職に磨きをかけておられる姿に感動した。

こうした各位により、今日、『月光とピエロ』が合同演奏される。初冬の凛(りん)とした空のどこかで、清水脩先生も微笑んで、耳を傾けておられることだろう。

演奏会のご成功と、YARO会のますますのご隆盛を、心からお祈りする。

 


 大合唱とはいいながら74人ではさほど大きさを誇るほどのものではない。むしろ一糸乱れぬ演奏や統一された表現からくるアンサンブルの良さこそが目指すものである。


 “月の光の照る辻に ピエロさびしく立ちにけり
 月夜に一人立ち尽くす真っ白なピエロ。ひっそりとした誰もいない街角。仮面のようなピエロの顔からこぼれ落ちるひと筋の涙。おれはどうしてここにいるのだろう。これがおれの生きてゆく道なのか。第1曲「月夜」はこうして始まる。導入部として、己のうちなるピエロに気持ちを込めて歌いたい曲である。
 アンケートには、ピアニッシモからフォルテッシモまで多彩な音色で男声合唱の醍醐味を満喫した、皆が一緒になったときのパワーは凄いピアニッシモで歌うところも力が落ちなかったテナーがフォルテッシモをしっかり盛り上げられるのが素敵迫力満点壮大な世界が出現したと書かれていた。
 大人数のピエロ、歌ったことはあるが聴くのは初めて、堪能させていただいたこの曲は何回となく聴いたが、74名の合唱は初めて、最高に感動したこれを歌いたくて歌いたくて、歌った皆さんのしあわせが羨ましい思わず一緒に口が動いてしまった学生とはまるでちがうメリハリと深みのある演奏だったこれが聴けただけで大満足、久々に男声合唱の醍醐味を味わった涙が出そうになった若い声のテノール、充実して安定したベース、整然とハーモニーを作る内声、言うことなしの名演だった。
 4曲目の「ピエロの嘆き」の“月はみ空に身はここに”のスタッカート気味に跳ねるところが良かったという声があったが、ここは“見すぎ世すぎの泣き笑い”のピエロが、せめて踊ることしかできないという気持ちを出してくれと指揮者から指示があった箇所である。やり切れない身の上を引きずりながら、それでも踊るしかないピエロの気持ちになって歌い込んだ。そのように歌い込めば、やはり聴いていただいている方にも通じるものがあったのだ。音楽の場は、なまじではない。聴衆の音楽に対する情熱があればあるほど、ホールが一つになって共感の渦が巻き起こるのである。
 最後の「月光とピエロとピエレットの唐草模様」は力が入ってしまったのか、音程がややずれてしまったのは残念との感想があったのは意外だったが、真摯に受けとめ反省材料としよう。男声合唱団が5団体も集結して合唱されると、深みと勢いとで心に響くものがありますまるで一つの団のようにまとまってとても良かった力強くて鳥肌が立った白塗りの下のピエロの涙が心に伝わってきた。そして、各団ごとに歌っていたときより自由に歌っていたと言われると、たしかにそれはまちがいない、足し算ではなく掛け算の結果が出ていたと確信している。

 今回のアンコールでは、さすがにプログラムに書きはしなかったが、多田武彦先生からプレゼントされた『秩父音頭』を初演するとあらかじめ宣伝していたこともあり、これを期待していた向きも多かったはずだ。原曲は素朴な盆踊りの歌であるが、これを多田先生に見事な男声合唱曲として仕上げていただいた。多田先生からYARO会に『秩父音頭』がプレンゼントされたいきさつについては、「多田武彦先生からYARO会へビッグプレゼント(2005年6月10日)を読んでいただきたい。
 この曲は、聴いた感じよりハーモニーが複雑だったり、シンコペーションが多く出てくるなど、それなりに演奏はむずかしい部類に入るだろうか。もうひとつ最後まで苦心したのが、語りの部分であった。“三峰お山の夜は明けて、トォ、秩父繁盛の陽は昇る。ハーオッセー、オッセー、オッセーナ、トォ”これをまったく地声で喋ってしまっては、他の合唱部分と異質のものになってしまう。そこで、民謡の素朴さや泥臭さも残しながらある程度声楽的に処理しようということで、軟口蓋に当てる発声とした。こうすることで、全員の声が統一されハモる合唱となる。シンコペーションとは、同じ高さの弱拍部と強拍部とが結ばれて弱拍部が強拍部になり、強拍部が弱拍部になって強弱の位置が変わること、または、強拍と弱拍による拍子・リズムの正規な進行が、何らかの手段によって故意に変化された状態のことである。
 『秩父音頭』は、よくまとまっていて楽しかった、ハーモニーの上に夜祭の山車、ざわめきが目に浮かぶようだった久し振りに感動をもって合唱を聴かせていただいた今後秩父音頭を聴くときは必ず思い出すだろう




 アンコールの2曲目は、木下牧子作曲『夢見たものは』であった。一見簡単そうに見えるのに、意外にも良い演奏があまり聴かれないとの噂が流れている曲でもある。それならなおさら挑戦しがいがあるというもの。
 木下牧子ワールドとでもいおうか、とてもしっとりしていて、心地よいハーモニーが連なっている“村の娘たちが歌う”で涙が出てしまいましたアンコール曲が一番良かったとまで言われると、ピエロはややむずかしくてシリアスな曲だったから、それはそれでやむをえなかったかなと思う。
 実は今回初めてステージを経験したメンバーがいるが、その方の娘さんと思われるアンケートに、初めて出た父の姿を見て涙が出ましたとあった。そして、別の方は、自分たちの合唱団もいつかこのようなステージを持ちたいと思いますと喜んでくださっている。本当にありがたいことである。


 さて、最後になってしまったが、コンサートをスムーズに進め、歌い手が安心して歌える場を作ってくれるのがステージ・マネージャーである。このステマネは、タイムスケジュールに沿って時間通りに進ませるために、各ステージで「出」のキューを出す重要な役割を担っている。当たり前のことだが、出演する者が片手間でこなせる役ではない。大きなステージになればなるほどステマネの存在は大きい。
 今回は、当所からこの人だと決めていた候補がいた。それは、前回のコンサートのときにメンネルA...のメンバーだった森浩氏である。彼は自身優れた歌い手であるが、そのマネジメント能力も半端ではない。今回はオンステしないのでステマネとして専念していただいた。以下は森氏のコメントである。


 本番のベルがなり、幕があくときの歌い手の表情を舞台袖から眺める瞬間。私が、ステマネをやっていて一番好きな瞬間である。
 嬉しそうな顔、緊張した顔、知り合いをさりげなく探す顔、なんていう豪気な輩もいるが、ほとんどは泣き笑いの顔だ。きっとこれまでの準備にかけた膨大な時間がぎゅっと濃縮された泣き笑いなのだろう。
 ステマネをしていると、リハーサルの時は1秒1秒が長く感じられるけど、幕があがってからはあっという間だ。そういう意味では、ステージの中も外もそしてきっと観客席でも無数の同じような顔も同じ思いかもしれない。あっという間だからこそ、全てを表現したくて、全てを共有したくてじっとステージの中心を見つめているのかもしれない。そこで歌える幸せをかみしめて歌を歌っている74人のYAROたちの想いが聴衆へと伝わったコンサートだった。
 この場を共有できた全ての皆さん、そして支えてくれた全ての皆さんに伝えたい。ありがとう。この場にかかわれて、ステマネとして、最高に光栄でした。
 きっと、コンサートの間中は”泣き笑い”の顔だったことでしょう。